東京大学 物性研究所極限コヒーレント光科学研究センター板谷研究室
研究紹介
はじめに
近年の高強度レーザー技術の進歩によって、テーブルトップ規模のレーザー装置でテラワット級(1TW=1012 W)の高強度超短パルスレーザーが実現しました。高強度光パルスを集光することによって、「非常に強い電磁場と物質の相互作用」に関する研究が可能となり、Strong Field Physics (強光子場科学)と呼ばれる光科学分野が生まれました。また、高強度レーザー装置の基本技術の発明により、2018年のノーベル物理学賞がG. A. MourouとD. Stricklandに授与されました。
非常に強い振動する光電場の中で、物質中の電子は極端な非線形な応答を示すことがこの20年で明らかになりました。このような物質の「極端な非線形性」は、光電場の時々刻々の変化に対応した応答であるため、可視域の光電場の振動の一周期よりも短い時間スケール(=アト秒)の光パルス発生が可能となり、「アト秒科学」と呼ばれる超高速光科学がこの20年で急速に進展し、今も発展を続けています。2023年には、アト秒科学の基礎となる先駆的な実験をしたP. Agositini, A. H. L'Huillier, F. Krauszの三氏にノーベル物理学賞が授与されました。
板谷研では、以下のような、新しい高強度レーザーの開発とコヒーレントな短波長光パルス発生や新規光源を用いた気相・固体・液体を対象としたアト秒科学に関する実験的研究を行っています。
1. 高強度極短パルスレーザーの開発とアト秒パルス発生
板谷研では、高強度極短パルスレーザー光源の開発を行っています。これまでに、「光パラメトリック増幅」という手法に基づく、赤外域で位相制御された高強度極短パルス光源が開発し、軟X線領域でのアト秒パルス発生に成功しています。最近では、アト秒科学で広く用いられているチタンサファイアレーザーではなく、次世代の高出力レーザーであるYb固体レーザーを励起源とした可視~赤外域の光パラメトリック増幅光源の開発や、光パルスの時間幅をさらに短縮するためのパルス圧縮手法の開発なども手がけています。これまでに実験室で開発した光源は、テラヘルツから軟X線領域までをカバーしており、物質中の多様な自由を利用した新規分光法を開発しています。
2. 原子・分子の強光子場・アト秒科学
アト秒パルス光を用いることによって、原子や分子内での電子ダイナミクスを実時間観測することが可能となります。下図は、直線偏光の強レーザー場中に置かれた水素原子の電子密度分布です(密度汎関数法によるシミュレーション)。わずか数フェムト秒(光電場の振動の数周期)の間に、電子の波が原子の外に現れて、光電場によって加速されていく様子がわかります。このような電子の超高速ダイナミクスは特殊なものではなく、光合成、光触媒、分子の光活性などの基礎的な化学反応において起きていると考えられ、それを実際に観測することが、大きな目標となっています。最近では、トンネルイオン化で発生した電子波束が、発生源である原子・分子のイオンに衝突する過程について系統的な実験を行い、高エネルギー電子の発生機構を明らかにしました。
3. 凝縮系の強光子場・アト秒科学
高強度レーザーの中赤外やテラヘルツ領域への長波長化に伴い、レーザー光の光子エネルギーが小さくなります。そのため、電子放出(イオン化)に要する光子数が大きくなるため、イオン化そのものが起こりにくくなります。イオン化によって発生した光電子は光電場で加速され、衝突イオン化等の過程により、きわめて短時間で高温・高密度のプラズマが生成され、媒質は破壊されます。高強度レーザーの長波長化によって、固体に対しては10 MV/cmを超える光電場を非破壊的に加えることが可能となりました。液体ジェットに対しては、イオン化に伴うプラズマ生成が起こっても高い繰り返しで実験が行えるので、さらに高い光電場を加えることが可能です。これまでに、固体や液体における高次高調波発生実験を行っており、さまざまな興味深い現象を見いだしています。
4. 軟X線領域でのアト秒レーザー分光
高強度極短パルスレーザーで発生する高次高調波が軟X線領域のアト秒パルスとなっているため、これまでは放射光でしか出来なかった実験が、大学の実験室で出来るようになりました。板谷研では、軟X線アト秒パルスを用いた元素選択性の高い超高速軟X線分光を推進しています。軟X線は、物質との相互作用の強い光であり、元素吸収端を利用することによって特定の元素の電子状態や原子配置の短距離秩序を直接観測することが出来ます。また、物性研内外のグループとの協力の下で高次高調波の物性応用のための多様な装置開発を進めています。
外部資金の状況
外部資金名 | 研究課題名 | 研究代表者・研究年度 |
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科学研究費補助金 若手研究 | 「熱揺らぎマグノンダイナミクスの超高速測定手法の開発」 | 研究代表者 栗原貴之 2021-2025年度 |
科学研究費補助金 研究活動スタート支援 | 「高強度中赤外電場下におけるスピン依存伝導のサブサイクル分光観測」 | 研究代表者 栗原貴之 2020-2022年度 |
科学研究費補助金 基盤研究(C) | 「運動量イメージング法を用いた軟X線領域でのアト秒ストリーク法の開発」 | 研究代表者 水野智也 2020-2022年度 |
文科省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム (Q-LEAP) | 技術領域:次世代レーザー Flagshipプロジェクト「先端レーザーイノベーション拠点」 「次世代アト秒レーザー光源と先端計測技術の開発」部門(ATTO) |
研究代表者 藤井輝夫/石川顕一 部門長 山内薫 2018-2027年度 |
科学研究費補助金 基盤研究(S) | 「次世代極短パルスレーザーによるアト秒科学の新展開」 | 研究代表者 板谷治郎 2018-2022年度 |
科学研究費補助金 基盤研究(A) | 「高効率アト秒分光のための次世代高強度レーザーの開発」 | 研究代表者 板谷治郎 2018-2018年度 |
TIA連携プログラム探索推進事業"かけはし" | 「アト秒光電子顕微鏡のための基礎技術と応用に関する調査研究」 | 研究代表者 板谷治郎 2017年度 |
科学研究費補助金 若手研究(A) | 「数サイクル高強度中赤外電界下の固体の極限応答探索」 | 研究代表者 石井順久 2017-2020年度 |
科学研究費補助金 挑戦的萌芽研究 | 「アト秒光電子分光のための超高強度テラヘルツパルス発生」 | 研究代表者 板谷治郎 2015-2016年度 |
科学研究費補助金 若手研究(B) | 「高強度赤外線による軟X線アト秒パルス光発生とその計測」 | 研究代表者 石井順久 2013-2015年度 |
文科省 光・量子融合連携研究開発プログラム | 「極限レーザーと先端放射光技術の融合による軟X線物性科学の創成」 | 研究代表者 辛埴 2013-2017年度 |
科学研究費補助金 基盤研究(S) | 「1keV領域での高次高調波発生とアト秒軟X線分光への展開」 | 研究代表者 板谷治郎 2011-2015年度 |
文科省 最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム | 「先端光量子アライアンス」 | 拠点責任者 五神真/三尾典克 2008-2017年度 |
JSTさきがけ「光の創成・操作と展開」 | 「高次高調波のコヒーレンスを利用した分子動画観測」 | 板谷治郎 2008-2011年度 |
JST振興調整費「卓越した若手研究者の自立促進プログラム」 | 「極限的な非線形光学の開拓と物質科学研究への応用」 | 板谷治郎 2008-2010年度 |