東京大学 物性研究所極限コヒーレント光科学研究センター板谷研究室

研究紹介

はじめに

TiS-CPA

板谷研では、高強度極短パルスレーザーを用いたアト秒科学の研究を行っています。 アト秒(10-18 秒)は、電子が原子や分子、固体中を運動する時間スケールであり、近年、この極限的な時間領域を直接観測・制御する研究が急速に発展しています。2023年には、アト秒パルス発生とその計測技術の開拓に対してノーベル物理学賞が授与されました。

強いレーザー電場の中では、物質中の電子は通常の線形応答では記述できない極端な非線形応答を示します。この応答は、光電場の振動そのものに追随して起こるため、光の一周期より短い時間幅を持つアト秒パルスの発生につながります。

板谷研では、高強度レーザー光源そのものの開発から、コヒーレント短波長光の発生、さらに気相・固体・液体を対象とした超高速分光実験まで、一貫して実験的研究を進めています。 特に、

  • 位相制御された中赤外極短パルス光源
  • 高次高調波による真空紫外・軟X線アト秒パルス発生
  • 強レーザー場による非平衡物質科学
  • 軟X線アト秒分光
などを中心テーマとして研究を行っています。

 

1. 高強度極短パルスレーザーの開発とアト秒パルス発生

板谷研では、高強度極短パルスレーザー光源の開発を行っています。これまでに、「光パラメトリック増幅」と呼ばれる手法に基づいて、赤外域で位相制御された高強度極短パルス光源を開発し、軟X線領域でのアト秒パルス発生に成功してきました。

最近では、アト秒科学で広く用いられてきたチタンサファイアレーザーに加えて、次世代の高出力レーザーであるYb固体レーザーを励起源とした、可視から赤外域にわたる光パラメトリック増幅光源の開発にも取り組んでいます。また、光パルスの時間幅をさらに短縮するためのパルス圧縮手法の開発も進めています。

これまでに研究室で開発してきた光源は、テラヘルツから軟X線領域までを幅広くカバーしています。これらの光源を用いて、電子・格子・スピンなど、物質中の多様な自由度を利用した新しい分光法の開発を進めています。

2. 強レーザー場中での原子・分子とアト秒科学

アト秒パルス光を用いることで、原子や分子の内部で起こる電子ダイナミクスを実時間で観測することが可能になります。下図は、直線偏光の強レーザー場中に置かれた水素原子の電子密度分布を示したものです(密度汎関数法によるシミュレーション)。わずか数フェムト秒、すなわち光電場が数回振動するほどの短い時間の間に、電子の波が原子の外へ広がり、光電場によって加速されていく様子が見て取れます。

このような電子の超高速ダイナミクスは、特殊な実験条件だけで現れるものではありません。光合成、光触媒反応、分子の光活性など、さまざまな光化学過程の初期段階でも、電子は極めて短い時間スケールで運動していると考えられています。こうした電子の動きを直接観測し、化学反応や光機能の出発点を明らかにすることが、アト秒科学の大きな目標の一つです。

最近では、トンネルイオン化によって発生した電子波束が、発生源である原子・分子イオンと再衝突する過程について系統的な実験を行い、高エネルギー電子の発生機構を明らかにしました。

Hatom

3. 強レーザー場中での凝縮系(固体・液体)とアト秒科学

高強度レーザーの中赤外・テラヘルツ領域への長波長化により、レーザー光の光子エネルギーは小さくなります。その結果、電子放出(イオン化)に必要な光子数が増え、イオン化が起こりにくくなります。

通常、高強度レーザーを物質に照射すると、イオン化によって発生した光電子が光電場で加速され、衝突イオン化などを通じて、きわめて短時間で高温・高密度のプラズマが生成されます。この過程はしばしば媒質の破壊を引き起こします。

一方、レーザー光を長波長化すると、固体に対しても 10 MV/cm を超える強い光電場を、非破壊的に加えることが可能になります。また、液体ジェットを用いた実験では、イオン化に伴うプラズマ生成が起こる条件でも、試料が連続的に更新されるため、高い繰り返しで実験を行うことができます。そのため、さらに高い光電場を印加した実験も可能になります。

板谷研ではこれまでに、固体や液体を対象とした高次高調波発生実験を行い、強レーザー場中の物質が示すさまざまな興味深い現象を見いだしてきました。

4. 軟X線領域でのアト秒レーザー分光

高強度極短パルスレーザーによって発生する高次高調波は、軟X線領域のアト秒パルス光源として利用できます。これにより、これまでは主に大型放射光施設で行われてきた軟X線分光実験の一部を、大学の実験室でも行えるようになってきました。特に、アト秒からフェムト秒の時間分解能を持つ軟X線パルスを用いることで、物質中の電子状態の変化を極めて短い時間スケールで追跡することが可能になります。

板谷研では、軟X線アト秒パルスを用いた、元素選択性の高い超高速軟X線分光を推進しています。軟X線は物質との相互作用が強く、元素吸収端を利用することで、特定の元素の電子状態や、その周囲の原子配置の短距離秩序を直接観測することができます。この特徴を活かすことで、複数の元素からなる物質において、どの元素の周りでどのような変化が起きているのかを選択的に調べることができます。

また、物性研内外のグループと協力しながら、高次高調波を物性研究へ応用するための多様な装置開発も進めています。光源、分光器、試料環境を一体として整備することで、軟X線アト秒分光を用いた新しい物性研究の開拓を目指しています。

 

 

 

 

 

外部資金の状況

外部資金名研究課題名研究代表者・研究年度
天田財団 一般研究開発助成 「中赤外フェムト秒固体レーザーの開発と新規レーザープロセシングへの展開」 研究代表者 板谷 治郎
2025-2029年度
科学研究費補助金 特別推進研究 「時間分解X線溶液散乱法による光化学反応の構造可視化」 研究代表者 足立 伸一
2021-2025年度
科学研究費補助金 若手研究 「熱揺らぎマグノンダイナミクスの超高速測定手法の開発」 研究代表者 栗原 貴之
2021-2025年度
科学研究費補助金 研究活動スタート支援 「高強度中赤外電場下におけるスピン依存伝導のサブサイクル分光観測」 研究代表者 栗原 貴之
2020-2022年度
科学研究費補助金 基盤研究(C) 「運動量イメージング法を用いた軟X線領域でのアト秒ストリーク法の開発」 研究代表者 水野 智也
2020-2022年度
文科省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム (Q-LEAP) 技術領域:次世代レーザー
Flagshipプロジェクト「先端レーザーイノベーション拠点」
「次世代アト秒レーザー光源と先端計測技術の開発」部門(ATTO)
研究代表者 藤井 輝夫/石川 顕一
部門長 山内 薫
2018-2027年度
科学研究費補助金 基盤研究(S) 「次世代極短パルスレーザーによるアト秒科学の新展開」 研究代表者 板谷 治郎
2018-2022年度
科学研究費補助金 基盤研究(A) 「高効率アト秒分光のための次世代高強度レーザーの開発」 研究代表者 板谷 治郎
2018-2018年度
TIA連携プログラム探索推進事業"かけはし" 「アト秒光電子顕微鏡のための基礎技術と応用に関する調査研究」 研究代表者 板谷 治郎
2017年度
科学研究費補助金 若手研究(A) 「数サイクル高強度中赤外電界下の固体の極限応答探索」 研究代表者 石井 順久
2017-2020年度
科学研究費補助金 挑戦的萌芽研究 「アト秒光電子分光のための超高強度テラヘルツパルス発生」 研究代表者 板谷 治郎
2015-2016年度
科学研究費補助金 若手研究(B) 「高強度赤外線による軟X線アト秒パルス光発生とその計測」 研究代表者 石井 順久
2013-2015年度
文科省 光・量子融合連携研究開発プログラム 「極限レーザーと先端放射光技術の融合による軟X線物性科学の創成」 研究代表者 辛 埴
2013-2017年度
科学研究費補助金 基盤研究(S) 「1keV領域での高次高調波発生とアト秒軟X線分光への展開」 研究代表者 板谷 治郎
2011-2015年度
文科省 最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム 「先端光量子アライアンス」 拠点責任者 五神 真/三尾 典克
2008-2017年度
JSTさきがけ「光の創成・操作と展開」 「高次高調波のコヒーレンスを利用した分子動画観測」 板谷 治郎
2008-2011年度
JST振興調整費「卓越した若手研究者の自立促進プログラム」 「極限的な非線形光学の開拓と物質科学研究への応用」 板谷 治郎
2008-2010年度